筆者は京都市内に拠点を置いて不動産コンサルタントを営んでいるが、よく知り合いなどから「京都で商売をするのは難しくないですか?」などと聞かれる。確かに他のエリアには無い京都独特のローカルルールは存在し、それを知らないと仕事を進めにくいということはあるが、そのようなローカルルールはどのようなエリアでも存在するものだ。
ただ「さすが京都だ!」と思うようなことも多くある。大阪や神戸でも長く不動産業務を経験した中で「これは京都独特だ」と筆者が感じたものをいくつか紹介したい。
*「先の戦」が第二次世界大戦ではない
「京都で先の戦といえば応仁の乱」などと言われることがある。筆者も聞いたことがあるが、どちらかといえば面白半分で言われることが多い。太平洋戦争の時代の記憶が鮮明な世代の年配の方には、既存の町家を引き倒して五条通や堀川通を拡幅したことの記憶を話してくれる方もいらっしゃる。「先の戦」が第二次世界大戦という人も存在するわけで、「京都で先の戦といえば応仁の乱」は半分ネタと言ってよい。
ただ、残る半分はネタではない。生きた話として第二次世界大戦以前の話をする人は、結構多い。「先の戦」が蛤御門の変や鳥羽・伏見の戦いという方にもお会いしたことも何度もある。「通の向こうまで火がきた」「新しい方の建物はこの時に建て替えた」と言った具合だ。こちらは第二次世界大戦と違い、本人の記憶ではない(当たり前)。家族・親族で数世代にわたり語り伝えられた内容であろう。
*市内ほぼ全てが遺跡
周知の埋蔵文化財包蔵地、すなわち古墳や遺跡等がある場所で一定規模以上の建設工事・開発工事を行う際には文化財保護法に基づき届け出が必要になる。そして発掘調査が必要かどうかを判断するために試掘というものを行う。ここまでは京都市内に限った話では無いのだが、驚くべきはその埋蔵文化財包蔵地の多さだ。
京都市内には旧石器時代から江戸時代にかけて埋蔵文化財包蔵地が約 790箇所ある。京都御苑からJR「京都」駅にかけての上京区・中京区・下京区は「ほぼ全域が遺跡」といって差し支えない。ここ数年は非常にたくさんの宿泊施設が建設されたが、市内各地至る所で埋蔵文化財の試掘が行われていた。学術的価値の高いものが出土した場合は、近隣に向けて説明会が執り行われるのだが、この説明会もしょっちゅうそこかしこで開催されていた。歴史好きの方はWEBサイトでチェックして、遠方から見えられることもある。
ただ建築主にとってはたまったものではない。埋蔵文化財の発掘で工事がストップしても国や市からの補償は出ない。歴史的な価値はさておき、建築主にとっては埋蔵文化財の出土は「デメリット」だ。京都市内は「遺跡の上にある町」。京都市内で建築を考えている人はご注意を。
*経験年数は先代の年数も込み
京都に住む人のいちばん大きな特徴はその時間軸の長さ。例えば以下のようなやりとりになることはしょっ中だ。
「〇〇さんは、いつからこのお仕事をされているんですか?」
「はい、80年少しやっています」
代々続いていることがひと目でわかるような商家で店主に聞いた話、では無い。これはある弁護士との会話で、なんでも祖父の代から弁護士だったそうだ。バリエーションとして、
「〇〇さんはいつからこちらにお住まいですか?」
「200年ほど住んでいます」
と言ったパターンもある。もちろん話している人が200歳であるわけではなく、その土地に先祖代々200年ほど転居せずに住んでらっしゃるということだ。ちなみに借家をお持ちの方で「この建物は、私が生まれた時から賃借人が入れ替わっていない。建物の中を見たことがない」という方には何人もお会いしたことがある。
建物や土地にはそれぞれ数十年、数百年、場合によってはそれ以上の歴史が刻まれている。京都で不動産を扱っているとその歴史に触れることは多い。京都に住むと寺社仏閣等に行かずとも、歴史に触れることができる。